参考文書: 保育社 万葉の歌6 兵庫 神野富一著 築地書館 新・古事記伝 中山千夏著 古代の淡路は海人と神話の国です。万葉の人々がこの島を遠く近く往来する以前にすでにそうでありました。 日本書紀には応神(おうじん)・履中(りちゅう)・允恭(いんぎょう)の各朝に淡路島への天皇遊猟をしるし、古事記には仁徳天皇の行幸がしるされています。また応神天皇の皇女に淡路御原皇女(あわじのみはらのひめみこ)がいたこと、反正(はんぜい)天皇は淡路の宮に誕生したという伝承など、記紀にはこれらの時代に淡路関係記事が集中しています。 これは、ほぼ四世紀後半から五世紀後半にかけて、大阪平野(河内地方)に勢力を張った王朝と淡路島とが深い結びつきをもっていたことを物語るでしょう。 そして、この深い結びつきは、記紀の冒頭を飾る国生み神話に、淡路島を大々的に登場させる力学をもはらんでいたのでしょう。 国生み神話: 淡路島西岸の中ほど、津名郡一宮町の、海岸より2キロメートルほど奥まった多賀という地に伊弉諾(いざなぎ)神宮という古社があり、今も森厳な空間をまもっています。祭神は名のごとくイザナキの神と、その対偶神であるイザナミの神二柱です。 この神社は、日本書紀では「幽宮(かくれみや)を淡路の洲(くに)に構(つく)りて、寂然(しづか)に長く隠れましき」という条、および古事記の「故(かれ)、その伊耶那岐(いざなき)の大神は、淡路の多賀に坐す」という条に見られます。これはイザナミの神とともに国生み・神生みの大事業をなしたイザナキの神が、淡路島に永久に鎮座したという伝承であります。 さて古事記は712年に、そして8年後の720年に日本書紀が成立しました。 古事記の編集者は太安万呂ひとりで編纂命令が出されてから献上まで、たったの四ヶ月というスピード作成です。日本書紀の編集者は舎人親王、紀清人、三宅藤麻呂ほか多数と言われ、作成には40年、または短くて6年という説もあります。 |
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天地が初めてひらけた時、高天原(たかあまはら)に成りたった神の名は、アマの御中主神(ミナカヌシかみ)。次に高御(タカミ)ムスヒ神。次に、神(カム)ムスヒ神。この三柱(みはしら)の神は、みんな独神(ひとりがみ)となられて、身を隠した。 次に国土がまだ若く、まるで浮かぶ油みたいに、クラゲよろしくぷかりぷかりとただよっている時、葦の芽のようにすくすく芽ばえたものによって成りたった神の名は、ウマシ・アシカビ彦ヂ神。 次にアマのトコタチ神。この二柱(ふたはしら)の神もまた、独神(ひとりがみ)となられて、身を隠したのだった。 上のくだりの五柱(いつはしら)の神は、特別なアマ神。 次に成りたった神の名は、クニのトコタチ神。次に、トヨクモノ神。この二柱(ふたはしら)の神もまた、独神(ひとりがみ)となられて、身を隠したのだった。 次に成りたった神の名は、ウヒヂニ神。次に妹(いも)、スヒジニ神。次に、ツノクヒ神。次に妹(いも)、イククヒ神。 次に大トノヂ神。 次に妹(いも)、大トノベ神。 次にオモダル神。次に妹(いも)、アヤ・カシコネ神。 次にイザナキ神。次に妹(いも)、イザナミ神。 上のくだりのクニのトコタチ神より以下、イザナミ神より前を、合わせて神代七代という。[上の二柱(ふたはしら)の独神(ひとりがみ)は、おのおの一代、次に対になった十神は、おのおの二神を合わせて一代という] |
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ここでアマ神は、いろいろと御言葉をもって、イザナキ様とイザナミ様、二柱の神に、お告げなさった。 「このただようておる国を、つくろい固めて作りあげよ」 そうして、アマのヌ矛(ほこ)をくださり、命令なさったのだった。それで二柱の神は、アマの浮橋(うきはし)に立ち、そのヌ矛をさしおろして、かきまわした。そうすると、こおろこおろと潮(しお)かき鳴らして引き上げる時、矛の先からしたたり落ちた潮が、積もり積もって島となった。これがオノゴロ島だ。 その島へとアマから降りなさって、アマの御柱(みはしら)を立て、八尋殿(やひろどの)を立てた。ここでイザナキ様は、その妹、イザナミ様にこう問うた。 「おまえの身はどんなふうにできたね?」 イザナミ様は答えて言った。 「あたしの身は、どんどんできてできて、できたあげくに合わんところが一所(ひとところ)ある」 そこでイザナキ様がこうお告げなさった。 「あたしの身は、どんどんできてできて、できたあげくに余ったところが一所(ひとところ)ある。これじゃあ、あたしの身の余った所でもって、おまえの身の合わん所を刺しふさいで、国土(くに)を生みなすとするか。どうかね?」 イザナミ様は「それはいい」と答えた。そこでイザナキ様がこうお告げなさった。 「そんなら、あたしとおまえと、このアマの御柱(みはしら)をぐるりとまわって逢って、ミトのマグハヒをしよう」 こんなふうに定めて、さてまたお告げなさった。 「おまえは右からまわって逢え。あたしは左からまわって逢おう」 約束を終えてぐるりとまわった。その時に、イザナミ様が先に「ああらまあ、いい男だこと!」と言った。そして、後にイザナキ様が「ああらまあ、いい女だこと!」と言った。 おのおの言い終わった後で、イザナキ様はその妹にこう告げた。 「女の人が先に言うのは、良うないぞ」 それでも寝所で事を起こして生まれた子が、ヒルコ。この子は葦船に入れて流して棄てた。 次にアハ島が生まれた。これもまた子のたぐいには入れなかった。 ここで二柱(ふたはしら)の神は、こう相談して言った。 「今あたしが生んだ子はどうも良うない。これはやはりアマ神の御所(みもと)へ申しあげよう」 すぐ共に参って、アマ神の御言葉を乞うた。そこでアマ神はフトマニで占いをすると、御言葉をもってこうお告げなさった。 「女が先に言うたのが良うない。また降って言いなおせ」 |
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さてそこで帰って降って、さらにそのアマの御柱(みはしら)をさっきのように行きめぐった。 ここでイザナキ様が先に「あらまあ、いい女だこと!」と言った。後にイザナミ様が「ああらまあ、いい男だこと!」と言った。言い終わってからひとつになられ、生まれた子が淡道のホのサワケ島。 次に生まれたのが、伊予の二名島(フタナシマ)。この島は、身が一つに顔が四つある。顔ごとに名がある。それで、伊予国をエ姫と言い、讃岐国(サヌキくに)をイヒヨリ彦といい、粟国(アハクニ)を大ゲツ姫といい、土左国(トサくに)をタケヨリワケという。 次に生まれたのが、隠伎(オキ)の三子島(ミツゴしま)。またの名をアマのオシコロワケ。 次に生まれたのが、筑紫島(チクシしま)。この島もまた、身が一つに顔が四つある。顔ごとに名がある。それで筑紫国(チクシくに)をシラヒワケといい、豊国(トヨくに)をトヨヒワケといい、肥国(ヒくに)をタケヒ・ムカヒ=トヨ・クジヒ・ネワケといい、熊曽国(クマソくに)をタケヒワケという。 次に生まれたのが、津島(ツしま)。またの名をアマのサタヨリ姫という。 次に生まれたのが、佐度島(サドしま)。 次に生まれたのが、大倭(オホワ)トヨ・アキツ島。またの名をアマ・ミソラ=トヨ・アキツ・ネワケという。 それで、この八つの島が先に生まれたところから、大八島国(おおやしまくに)という。 こうして後に、もとのところへ帰りなさる時、吉備児島(キビコしま)が生まれた。またの名をタケヒ・カタワケという。 次に生まれたのが、小豆島(アツキしま)。またの名を大ノタ姫という。 次に生まれたのが、大島(オホしま)。またの名を大タマルワケという。 次に生まれたのが、女島(メしま)。またの名をアマ・ヒトツネという。 次に生まれたのが、知訶島(チカしま)。またの名をアマのオシヲという。 次に生まれたのが、両児島(フタコしま)。またの名をアマ・フタヤという。 |
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いかがでしょうか? 古事記のこの章からいくと、淡路島 → 四国(愛媛県 → 香川県 → 徳島県 → 高知県) → 島根県の隠岐 → 九州(福岡県 → 大分県 → 熊本県 → 鹿児島県) → 長崎県の対馬 → 新潟県の佐渡島 → 大和(?) これで大八島国。 そして 岡山県の吉備地方 → 香川県の小豆島 → 島根県大田市周辺 → 大分県の姫島 → 長崎県の五島列島 → 福岡県の沖ノ島 の順番で日本ができたと記されています。 こういう本を紐解くのもいいものですね。
▼言葉の注釈▼ 柱:神や貴人を勘定する場合の数詞 独神:男女対の神ではない単独の神のこと。 イザナキ神・イザナミ神:「イザの男」「イザの女」「イザ」は「さぁ」と同じく誘う言葉。「ナ」が「の」、「キ」が「男」、「ミ」が「女」。 ミトのマグハヒ:ミトは性器を表すトに接頭語ミを付けたもの。マグハヒは目を合わせることであり、男女が目を見合わせて心を通じるところから、転じて男女の性的な交わりを意味するようになった。結局、ミトのマグハヒとは、性交のこと。 |
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